ワードで昼食、ドンキホーテへ

車椅子の空気は補充できず

 とりあえず空気入れを探した。すぐに発見。約20ドルで高額だ。「なるほどこれがハワイの空気入れか。これも土産になるな」なんて能天気なことを考えながら、レジに向かおうとしたとき、ふと疑問がわいた。

 「これって本当に日本のタイヤの規格に合っているのかな?」振り返ってみれば素晴らしい閃きだった。しかしパッケージを破るわけにはいかない。

 そこでその近くでたむろしてくっちゃべっている3人組のおじさんのところに行き、たどたどしい英語で、「あんの〜、この車椅子の空気が抜けちゃったんだけんど、このポンプで大丈夫なんかねえ?」と聞いてみた。

 するとおじさんの一人が「何、空気が抜けただと。どれ車椅子を見せてみい。まあ日本製だろうがなんだろうが、おらっちのポンプには自信があるわさ」なんていうようなことをブツブツ言いながら、タイヤのバルブを点検。

 そして事件発生。バルブの構造がハワイの自転車のそれとは全然似ていないのに、いきなりバルブをクルクルまわしちゃったもんだから、あっという間に残りの空気がプシューとハワイの大気に溶け込んでしまった。

 さあ大変。これまでは半分ほど空気が入っていたから、曲がりなりにも利用することが出来たが、こうなってはまったく利用できない。

 でもまあ空気入れがあるから大丈夫なんだろうと楽観していたが、おじさん思わぬ事態に悩み始めた様子。なんと日本のバルブとハワイのバルブは形式がまったく違うのだ。それでも既存の空気入れをとっかえ引返していろいろ試してくれているが、すべて駄目。いよいよ窮した。

 「うまくいかんのかねえ?」と私が問うと「そうなんよ。こりゃ困った」なんて言ってる。しかしそれを聞いて一番困ったのは我々だ。我々の困った様子におじさんもあれこれ器具を持ち出して必死の努力をするがいかんともしがたい。

 ついにマネージャーと称する人まで借り出されてきて、思わぬ大事になってしまった。賢そうな金髪のマネージャー氏、さっと状況を確認するや否や、先ほどのおじさんとひそひそしゃべっている。言葉の端はしに「ホスピタル」という言葉が聞こえる。

 やがて意を決したようにマネージャー氏が私のところにやってきて、「大変申し訳ないが、バルブの形が違うのでここではどうにもならない。直せる可能性があるのは病院だと思う」と申し訳なさそうに言う。一同がっくりだ。

 まあおじさんも親切でやってくれたのだから、あまり追求も出来ない。第一追求するような英会話が成立しない。「わかりまちた。ほんじゃ他を考えてみっから」とかなんとか言いながら、一同すごすごとその場を去る。

 幸か不幸か連れは休み休みなら数100mは歩くことが出来るので、ゆ〜〜〜〜っくり駐車場に戻った。その間、無人の車椅子をごろごろ押していくのはなんとも間抜けな姿であった。

 しかし我々にとっては、今後の旅を左右する死活問題だ。どうするか、病院に行くか。しかし状況がそれほど変わるとは思えない。う〜ん、困った。時間は1時を過ぎている。よし何はともあれ飯だ。と叫んでフードコートで昼食となった。

 ちなみに空気が抜けた原因だが、飛行機での運搬方法だと私はにらんでいる。つまり貨物室に放り込まれた車椅子は、上空10000mではかなり気圧が低くなっているはずで、そのため内部の空気が逆に膨張してほんのちょっとした隙間から漏れていったのではないかと思う。実際帰りの飛行機でもやはり成田に到着したとき、ホノルル空港より空気が抜けていた。日本製の携帯空気入れは必需品である。


L&L

L&Lのチキンミニプレートランチ
L&Lのチキンミニプレートランチ
L&Lのビーフのミニプレートランチ
L&Lのビーフのミニプレートランチ

 ワードのフードコートには5件ほどの店が並んでいる。一番左から軽食やホットドッグの「サブウエイ」、寿司を食べられる「SUSHI AT WARD」、典型的なプレートランチの店「L&L」、中華風の「Egg Roll」、L&Lと双璧をなす「KOREAN BBQ」の順である。

 今回は久しぶりのハワイだから典型的なプレートランチを食べようということになり、私はチキンのミニプレートを注文。5.95ドルだったが、これも値上がりしている。これに飲み物をつければだいたい800円前後だろう。息子はビーフ。連れは中華風の酢豚?

 腹を膨らませながら今後のことを考える。なにせ車椅子が無ければあちこち出歩けない。なんとかしなくてはならない。しかしその方法を思いつかない。

 病院の場所はあらかじめ不測の事態に備えて調べてあるので、行こうと思えばいける。借りた車椅子の使用を諦めて、現地で再度レンタルする方法ある。これもある程度事前に業者の名前を調べてある。自転車専門店や自転車の修理やさんを探す方法もある。どれがいいのか、確実なのは新たに借りることだろう。

 そんなことを私があれこれ悩んでいるうちに、目の前に置かれていたチキンがどんどん削り取られ骨だけになっていく。後に残ったのは食い散らかした白米とマカロニサラダである。(我が家はいろいろな種類のプレートランチを持ち寄って、互いに突っつきあうことが多い)

 人が真剣に心配しているときに当の本人はもちろん、母も息子も我関せずで黙々と食っている。悲劇の主人公はいったい誰なんだと叫びたくなる気持ちを抑え、残ったチキンにかぶりつく。



ドンキホーテへ


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