記憶に残った出来事いろいろ

成田でのチェックイン

 スーツケースをX線に通し、何も問題が無いにも関わらず、なぜか机の上に乗せられあけるよう指示された。これについては予想していたので、あらかじめ見られてもいいように持ち物を分けておいたのでスムースに事は進行したし、時期が時期だけにやむを得ない処置だと納得していた。

 ところがチェックインカウンターでの対応がやけに遅い。私がスーツケースはマウイまで送って欲しいと言いながらイリマクーポンを提出すると、まるで初めて見たかのように不思議そうな顔をする

 そして何やら同僚と相談を始めた。マウイヘ行くのは何便かとしつこく何回も聞いてくる。初めのうちは真面目に答えていたが、さすがにこちらも段々面倒になり口数が少なくなってきた。

 対応している係員の胸のバッジをよく見ると訓練生と書かれていて、相談している相手は指導員らしい。それにしてもその指導員らしき人までクーポンを持って首を捻っている。

 こちらには首を捻っている事情をまったく説明してくれないので、いったい何が問題なのかさっぱりわからない。いらいらしながら、ハワイ旅行なんだからのんびり行こうと自分に言い聞かせるが、なんとも不可解な手際の悪さだ。

 結局何がどうなってどのように解決したのかさっぱりわからず、また手続きに時間がかかったことを詫びるでもなく、チェックイン終了。なんとこれだけで30分もかかった。いまだにその理由は謎だ。

出国審査、離島への移動でのチェック

 テロの影響か、ともかくチェックが厳しかった。成田を出発するときは上記のようにスーツケースを開けられ、さらに手荷物検査で子供のリュックの中身を調べられ、なぜか私だけが呼び止められ金属探知機で一通り調べられた後さらにボデイチェックまでされた。

 しかも念には念を入れて靴まで(リーボックのウオーキングシューズ)脱がされ、靴底を見ている。(靴底にドラッグを隠すような悪党に見えたのか?)何にも言われずそのまま通過している人の中で、なぜ私だけが、という疑問が残る。

 ホノルル空港からカフルイ空港に行くときも、パスポートの提示を求められたり(一見して欧米人と分かる人はパスポートは見せていなかった)手荷物をすべて開けて、きれいに整理して入れておいた中身を外に出し、チェックが終わると無造作に放り込む、という無礼な扱いを受けた。

 もっとも係員にとってはそれは普通の行為で悪意でやっているようには見えなかった。ただそんなに私の風貌が悪いのか、気になるところだ。

 なおカフルイからホノルルに戻るときも、やはり厳しくチェックされた。被っていた帽子を取られ、裏返して中を見られた。何もそこまで、と言う言葉が口からでかかったが、英語では言えない事に気がついてやめた。

食あたり?

 マウイの水はもちろん飲めるのだろうが、飲んだ感じではオアフ島とは違い、かなり硬水っぽく思えた。(オアフは軟水に思える)そのせいなのか単に食事が油っぽいものが多いせいなのかよくわからないが、腹具合がいまいちだった。

 女房にいたっては腹痛で発熱までする始末だ。もっともこれはスーパーで買ったサーモンのポケが悪かったように思えてならない。それを食べなかった私と息子はそれほどひどい症状は出なかったからだ。それやこれやでマウイでは直接水道から水を飲むことはやめて、ミネラルウオーターを買うようにした。

コンドへの間違い電話

 宿泊した部屋への間違い電話が多かった。番号が似ているのか、変更になったのか理由はわからないが、申し合わせたようにマウイ・バニアンの部屋と間違えた電話がかかってくる。最初の数件は丁寧に私は日本人でここはパシフィックショアーズの部屋である旨をたどたどしい英語で伝えていたが、段々面倒になって留守録だけにするようにした。

 向こうの電話のもしもしに匹敵する言葉は「ハロー」だと言うことがよくわかった。申し合わせたように録音した声はハローを繰り返し、返答がないとみるやメッセージも録音せず、そのまま切ってしまうのだ。受けるほうにはどんな要件だかさっぱりわからない。

メガネの紛失

 私はハワイに通い始める5年ぐらい前は丸きりの金槌だった。しかしハワイのビーチを毎年経験しているうちに、なんと40代で浮くことを覚え、今年は平泳ぎもどきの泳法まで習得することに成功した。ところで今回宿泊したコンドのラナイにさりげなくブギーボードが置いてあったのが事の発端。ろくに泳げもしないくせにカマオレビーチは波が比較的穏やかなことをいいことに、ブギーボードに挑戦したのだ。

 波のアップダウンを見極め、盛り上がりが近づいてきたときにさりげなくボードにのれば、あとは波が体をすーっと運んでくれる筈だった。たしかに何回か成功した。ちょっと気を良くして、比較的大きな波を待った。

 よしあれだ、ということで乗ったまでは良かったが、意外に波の崩れるのが早く、しかも大きな波だったからひとたまりもなく波に巻き込まれた。浅瀬でやっているから、もちろん溺れることはなく、すぐに立ち上がることが出来たが何やら周囲の景色がおかしい。波に揉まれたショックでどうかしたのか、判断が出来ない。

 ふと気がついた。先ほどまでかけていたメガネがまったく見当たらない。急いで足元を探ったがもちろんどこにもない。しかも私自身メガネがないとほとんど周囲が見えないので、目では探しようが無い。急いで岸に上がり女房に探してくれるよう頼んだが、時すでに遅し。私のメガネは太平洋の中に消えた後だった。

 それからが大変。急いでコンドに一旦戻ることにしたが、メガネが無いので道の輪郭しか分からない。幸いに予備のメガネを持ってきていたので、それからはそれをかけていたが、もしそれも無かったとすると、レンタカーが運転できなくなり、そのためにメガネを作ることも、空港に行くことも出来ず大変なことになった。改めてちょっとだけ海の恐ろしさを知った感じだ。



事件いろいろ(その2)


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