今回の旅行を振り返って

 旅行記は書き終わりましたが、今回の旅行はこれまでのハワイ旅行とはだいぶ行く前から意識が異なりました。その辺の気持ちの変化をブログを参考にしながら少しまとめておきたいと思います。

 さて、今回のハワイ旅行は事前に書いていたように、昨年8月の突然のクモ膜下出血からちょうど1年が経過した療養の旅となりました。

 そもそもクモ膜下出血というのは、それが起きた時点で3分の1は命を失い、さらに3分の1はその後に大きな後遺症が残る病気のようで、私の場合は今現在顕著な後遺症症状は軽いふらつき、味覚異常、ろれつの回りにくさを感じる程度で、ある意味大変ラッキーだったと思っています。

 発症直後の信じられない頭痛、もしかしたらもうこれで終わりかもと思いつつ救急車で大学病院に運ばれましたが、その途中で意識を失い、気が付いたらすでに手術も終了し、ベッドの上でした。

 その後しばらく(数日?)はベッド上で寝起きをするだけでしたが、トイレに行くようになり、体がやけにふらつくことを認識。

 さらに病院食を食べてみると噂通りまずい。(味覚異常の影響です)そして家族や主治医と話そうとすると、特定のフレーズで言葉がひっかかり、「ありゃりゃ、こりゃどうしたことだ。まいったなあ」というの最初の感想。

 やがてこれらはクモ膜下手術後の後遺症で、高次脳機能障害であると主治医に教えてもらいましたが、同時にこれらは一生続き治らないとも言われ、かなりがっくりしました。

 しかし冒頭に書いたように、病気のことを知るにつけ、私の場合はこの程度の後遺症で済んだので非常にラッキーだったということ分かり、その後は病状にも納得しました。

 そんな中、最初はベッド上で起き上がるとか、車いすや歩行器につかまるといったリハビリが始まり、さらに車いすや歩行器でリハビリ室まで移動。

 そこで車椅子から立ち上がる、座るという反復練習。さらに平行棒の間を、平行棒を持ってそろりそろりと歩くなど、まあ自分でも情けなくなるような基本的なリハビリを行いました。

 そんなわけで、およそ一か月大学病院でこういった最低限の生活に必要なリハビリを行い、経過が良かったのか、大学病院の方針なのか、一か月後にリハビリ専門病院に転院を勧められました。

 というわけで、自宅から車で20分程度のところに、たまたま良い病院が見つかり昨年10月に転院。そこで毎日理学療法、作業療法、言語聴覚という3つの分野でリハビリ指導を受けました。

 その間少しずつ体力も戻ってきて、最初は車いすでの移動だったのが、歩行器、そして自力で歩いてリハビリ室まで移動できるようになり、さらにたまたま担当してくれた理学療法士さんとの相性も良く、順調に回復。

 約一か月半のリハビリ生活を終え、11月中旬に無事退院。結局8月の終わりに病気を発症し、二か月半の入院生活を経て自宅に戻ってきました。

 その後もこういったリハビリというか運動の必要性を感じ、朝と夜寝る前に自主的に簡単なストレッチをベッド上で行い、さらに週2回お世話になったリハビリ病院の別室に設けられた部屋で、筋トレやストレッチを行って今に至っています。

 そんな中、大学病院退院半年後の今年2月と、1年後の8月に、経過観察ということで、大学病院でMRI検査が行われ、基本的に問題なしというように主治医から言われました。

 その言葉を聞いて、「よしそれなら行きたかったハワイに行くか」と思い立ったのが8月下旬。そこからはブログ等に書いた通りですが、急遽チケットとワイキキバニヤンを予約し、今回のハワイ旅行となりました。

 その意味では、これまでのハワイ旅行とは意識が全く違っていて、ブログにも書いた通り、療養の旅復活の旅いう意識が強くありました。

 そのため、絶対に無理をしない、なるべく体力消耗を抑える、できる限り楽をする、できれば何もしなハワイ旅行というのを実現する、というようなことが頭の中にありました。

 というような思い入れを持って実現したハワイ旅行ですが、ブログに書いた通り、寝不足や体力の消耗、そして風邪等が重なると、常に感じているふらつきや味覚障害の症状も悪化するということが確認できました。

 これについては今後の旅行計画にいろいろと支障が出そうなので、もう少し慎重な準備が必要だなと思っています。

 ただいろいろな意味で「何もしないハワイ」という旅行形態に少し近づいたなという印象もあり、同時にそれでもハワイは充分楽しめると感じたことは大きな収穫だったと思っています。



2017年9月ハワイ旅行


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