15日目 ついに帰ってきてしまいました

スーツケースが重量オーバー

 すぐにスーツケース預かりとなるのだが、なんと「長蛇の列」。どうしてかと見ると、列の先頭でスーツケースの重さを計っている。ここを通過しないと先へ進めないのだ。周辺では重量オーバーを宣言された人たちが詰め替えを行っている。

 果たして通過できるのかどうか、その時点では分からないので、とりあえず列に並んでみた。重さを計るだけだから、すぐに列は進み我が家の番となる。よっこらしょっとスーツケースを秤に載せると、数字は制限を数kg越えていた。係員さんも若干申し訳なさそうに、オーバーです・・・、という。残念。

 しょうがないので、列からはずれ、詰め替えだ。スーツケース内の重たい物をサブバッグに入れ、軽い物をスーツケースに戻す。この作業に5分ぐらいかかった。

 再び列に並ぶと今度は無事通過。あとはお任せだ。しかし厳しいな、と言うのが実感だ。過去には35kg近いスーツケースを運んだこともあるので、JALのこの処置には若干解せないものを感じる


手荷物検査を終え、ついに帰国

 次は航空券の発券。これは簡単。次に手荷物検査。こちらもまあ慣れているから問題なく通過。時刻は昼なので腹が減ってきた。フードコートで軽食を摂る。

 食後はゲート途中の土産物屋さんを物色。別に買うつもりはない。単なる時間つぶしのつもりだったが、ふと時計を見ると離陸30分前になっていた。ちょっと慌ててゲートに向かう。一部の乗客はすでに搭乗中だった。トイレに行き、休む間もなく搭乗。定刻離陸。

 途中小刻みな揺れがあったりしたが、おおむね順調に飛行し、無事成田着。成田のくすんだ空を見るとがっかりだがしょうがない。空気が妙に思っ苦しく感じられる。湿気のせいだろう。


まとめ

 今年のハイライトは何と言っても「散骨」だろう。帰国し旅行記を書き続けている今でも、ワイキキの沖の砂の中に、連れの遺灰が混じっているかと思うと、お墓に入っている遺灰とは全く違う印象を受ける。あの青空のもと、好き勝手にあちこち行っているんだろうなあと思える。

 一方私自身は、通常の墓参りに加えて、ハワイに行くことが慰霊の旅行になると言うことも改めて感じ始めた。

 これまでは、なんとか毎年夏には行ければいいなあ、という気持ちだったが、何となく来年以降は行かなければならない、というような感覚に変わりつつある。つまり私自身がハワイを何らかの形でライフワークとしてとらえ始めたということだろう。

 二つ目。英会話レッスン。これは新鮮な体験だった。もちろん体験したのは息子だが、その段取りをしたのは私であるし、ほんの少しでも現地の先生と話が出来たのはこの上ない喜びだった。

 息子もなかなか思い通りに会話が出来なかったことを悔しがってはいるが、それがきっかけになり、もっと英語を勉強しようという意識改革にはなったようだ。将来的には息子と一緒に親子英会話レッスンと言うことも予想できるなと考えている。

 三つ目。やはりサーフィンレッスンだろう。波の上に浮いていた板が、波のエネルギーで運動するというのは私の専門である物理の分野だが、そんな理屈をしのごの言うまでもなく、波と共に動いていく感触は新鮮だった。ボディ・ボードより遙かに優しいですよ、とジョー先生は言っていたが、全くその通りだと思う。

 乗るまでは本当に恐怖感があったが、体験してみれば浅瀬である限り安全だ。ただ私の場合は極度に視力が弱いにもかかわらず、乗るときは眼鏡を外さなくてはならないので、これは大きなハンディだ。これが解決しないと、サーフィンを今後も楽しもうとは思えないだろう。

 四つ目。マノア・フォールハイキングは良かった。バスで行けたことも大きな自信に繋がった。すなわちバスマップと時間さえあれば、オアフ島のどこへいでもバスで行けそうだという感覚だ。またマノアの自然に触れられたことも大きい。昨年のココ・クレーターハイキングと同様に、印象に残っている。

 その他BBQを楽しみ、ハワイの歩き方のインタビューを受け、ダイヤモンドヘッドに登り、映画を見て、おいしいものを食べ、バニヤンのCIMYの対応に若干不信感を持ち、ミニPCの無線LANを楽しみと、振り返ってみれば盛りだくさんの内容だった。

 毎年毎年、よくもまあ長期で行って飽きが来ないですか?と職場の理解ある同僚からはからかいの言葉をもらったりするが、毎年毎年やりたいことがなんとなく湧き出てきて、結局帰り際にはまた来年も来るぞ、みたいな決意がみなぎっている。

 これがハワイの魔力であり、ハワイ病重傷者の典型的な症状なんだろう。昨年あたりから息子もこの病気に罹患したみたいで、今年は英会話とサーフィンで、より重度になったように思う。

 さてさて、長々とおつきあいいただきありがとうございました。旅行記の方はこれにていったんおしまいです。この後宿泊した部屋の状況やおみやげについて若干触れようと思っていますが、なんと最初に宿泊した部屋1708号室は、2004年に宿泊していました。帰国後自分のページを見ていて確認。びっくりです。



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2009年 ハワイ旅行記


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