第一日目 成田を出発、ハワイ到着

成田への道は渋滞も無く、チェックインも問題なし

成田空港 出発フロア
成田空港 出発フロア

 ほぼ予定通りの時間に空港着。早速パスポートを使って自動チェックイン機でチケットをもらう。

 スーツケースを預けると、後はもう気楽なもんだ。展望ラウンジで夜風に吹かれながら出発時間を待つ。毎年繰り返していることだが、今年は息子と二人だけなので、ところどころ勝手が違う。

 搭乗時刻が近づいたのでゲートに向かうことにする。空港内は左の写真の通り、すでに人影はほとんど無い。

 次は面倒な手荷物検査だ。しかし時間が時間なので、検査を受ける人も少ない。

 手早く手荷物の中の電子機器類や金属製品をトレイに入れ、X線検査を受ける。去年はここで息子が卓球のスプレーを没収されたので、今年は慎重になっている。

 ゲートをくぐる。しかし無情?にもブザーが鳴る。そうだ、そういえばポケットの中の財布とベルトをはずしていなかった。これでOK。

 息子も難なく通過。後は搭乗するだけだ。気持ちはすでにハワイの空に飛んでいる。あの青空、あの空気、行き交う大柄な人々、咲き乱れる花、美しい海、おいしいチキンとグアバ・ジュースが、あと数時間で手にはいるのだ。


散骨用の遺灰について

 ちょっと真面目に書きます。すでにご存じの方も多いと思いますが、今年の2月、私の妻は家族、親戚の誰も想像もしていなかった病気により、ほぼ2年間の闘病生活の末、天に召されてしまった。

 生前よりハワイが大好きで、ハワイ行きを重ねる内にフラダンスをやるようになり、いくつかの発表会にも出演するようになっていた。ハワイに行き、おいしいものを食べ、ハワイ特有の雑貨を買うのを楽しみとして、私の退職後は長期滞在を夢見ていた。

 そんな妻の最後の願いは何だったのだろうか。考えた末に出した結論が、遺灰をワイキキの海に撒くことであった。いわゆる散骨である。そこで埋葬の折に分骨許可証をもらい、一部をハワイに持って行くことにした。

 しかし遺灰を持ち出すとき、すなわち出国するとき手荷物検査で引っかかるのかどうか。これについてはネットでも検索してみたが、ほとんど情報は得られなかった。ただ骨は粉末状にする必要があることは分かった。

 出国当日、ある意味ドキドキしながら検査を待ち受けたが、意外にも?まったく問題視されず、事前に用意した死亡証明や分骨証明書の類は一切使用する必要がなかった。

 ハワイへの入国時は検査がないので、ここが通過できれば後は問題ない。残っている問題は、どのように撒くかであるが、これについては、また後述する。


タクシー

 ついにホノルル空港到着だ。無事着陸し、他の乗客に混じって空港通路へ出る。ちょっと乗ってみたかった「ウィッキーウィッキーバス」は利用できず、徒歩で入国審査会場(イミグレーション)へ向かう。

 いつものように大勢並んでいたが、列は順調に進んであっという間に我が家の番。係官は女性。「何日間滞在しますか」といきなり英語で聞かれ、「2週間でございますです」と答える。会話はそれだけ。パスポートをもらい、スーツケースを受け取るためエスカレーターで階下へ。 

 しばらく待ってるとちゃんと出てきました。スーツケースは1個だけだし、息子も中学3年となり手がかからず、なおかつ入国審査からスーツケース受け取りまでの一連の流れを知っているので気が楽だ。

 最後に税関。もちろん申告の必要はないので、すぐに通過。ついにハワイに入った。右の個人出口に向かうと、辺りから日本人の姿が減り、私より頭が一つ抜きんでているような人や、横幅が3倍ぐらいありそうな人が目立つようになる。

 肉食と気候のせいだとは思うが、本当に体がでかい。黒いサングラスをかけていると、男性も女性もみんな映画俳優に見えてくる。そんな人たちの間をかき分け出口に向かう。交差点を横断すればタクシー乗り場だ。係官に促されるままにちょっと小振りな、背の高い車に案内された。

 息子と共に乗り込み、「ワイキキ・バニアンまでお願いしますよん」と伝えると、「ワイキキ・バニアン、シュア」とか何とか言ってすぐに発進。H1に乗れば懐かしい景色が眼前に拡がる。青い空、青い海、白い雲。「ようやく、帰ってきたよ」と心の中でつぶやく。



バニヤンチェックインへ


2009年 ハワイ旅行記


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