ひたすら頂上に向けて足を動かす

最後の気力を振り絞って

 再び登り始める。ふと見上げると、途中からの急勾配がまじかに迫っている。しかしものすごい角度だ。「これを登るのかあ」と思うと、少しだけ気持ちがなえる。それでも「千里の道も一歩から」などと、自分を励ましながら進む。

 途中一箇所レールの下のがけが崩れていて、レールと枕木しかないところがある。枕木と枕木の間から下が見える。5mぐらいの高さだから落ちても大怪我はしないだろうが、こんな山の斜面で足でもくじいたら大変だ。

 しかも枕木も所々朽ちている。数m進んでみたがやはり危ない。幸いなことに右に回り道があったので、そちらのルートを選ぶ。しかし回り道のルートも結構な急斜面で滑りやすい。

 難所を抜けると再び枕木との格闘だ。段々歩みが遅くなる。息子は疲れたと言いながらも、登るペースはあまり落ちない。私だけが段々置いていかれる。息子が休憩をとるとその間に私が追いつくという構図が出来上がったが、それでは私が休めない。アキレスと亀の話を思い出した。

 それでもまだなんとか進んでいる。ちょっと休んで水を飲み、周りの景色を見回し、再び登る。これの繰り返しだ。休憩に要する時間も段々長くなる。そうこうするうち、ついに急勾配の部分にさしかかった。一段一段の高さの差が激しく、一歩一歩がつらくなってくる。

 休んでいると後から来る若いカップルやスポーツウーマンが追い抜いていく。みんな元気だ。挨拶だけはかかさないようにした。しかし確かに私ぐらいの年齢の人は誰も登ってこない。みんな辛さを知っているのかもしれない。

ココクレーターから見たハナウマ湾
ココクレーターから見たハナウマ湾
ココクレーターから見たハワイカイ方面
ココクレーターから見たハワイカイ方面

 やがてどうにもこうにも疲れ果て、足を上げようにも上がらず、眩暈すら感じるようになってきた。「これはもしかしたら頂上まで行けないかも」と、少しばかり諦めムードが出てきた

 息子に「もしかするとお父さんは登りきれないかもしれないから、行けるならお前だけ先に登って頂上の景色をカメラで撮ってきなさい」と伝える。「分かった」と言って、どんどん上っていく。羨ましい限りだ。

 私のほうは、座り込んでしまうと二度と立ち上がれないかもという不安があったので、立ったまま休憩。それから目標を決めて登る事にした。あの木のところまで、あの崩れた枕木のところまでといった具合である。

 しかし肺は空気を求め、心臓はバクバクしている。心臓麻痺でも起こしたら大変だなとまで考えてしまった。やがて目標は「あの場所まで」ではなく、あと30歩登ったら休憩という歩数になった。

 見上げると頂上はまだまだ遥かかなたである。上を見てため息をつき、下を見て絶景に驚き、後30歩だけ登ろうと自分に言い聞かせながら登る。足元もだんだんよれよれしてくる。

 最初は見えていた息子の姿もいつの間にか見えなくなり、急勾配の階段の途中に一人だけ取り残される。前にも後ろにも人がいない。「どうしよう。諦めようか。しかしここまできたんだし。あと30歩だけ登ってみようか。いよいよとなったら座り込んでしまおう」自問自答しながら登る。

 唯一の慰めは眼下の雄大な景色である。登るたびにそのパノラマ風景がより広がっていく。最初は休み時間も1分ほどだったが、やがて2分、3分となり、ついに息が整うまで5分ぐらいかかるようになった。もう駄目か。しかし悔しい。

 30歩が駄目なら20歩だけ登ってみよう。水を飲んで息を整えよう。競争じゃないんだから、時間はいくらかっかっても構わないはずだ。一番最後に完走するマラソンランナーのような心境になってきた。

 半分朦朧とした状態で登りを繰り返す。ふと上を見上げると、あれほど急勾配だった階段が、あと30mぐらいで緩やかになっているのが見えた。よし最後の力を振り絞ってあそこまで行こう。そうすれば新しい展望が開ける。自分に言い聞かせて、機械的に登る。

 すると急に上りが楽になってきた。ついに急勾配の難所を通り抜けたのである。苦しかった息遣いも少し楽になってきた。「よし、これなら行けるかも」ようやく確信のようなものが芽生えてきた。

 緩やかになった勾配をゆっくり上っていくと、上から息子が心配そうに私を見ていた。息子曰く「もう来ないかと思ったので、これから降りるつもりだった」。余裕である。息遣いの乱れもまったく感じられない。悔しいがこればかりはどうしようもない。それでもなんとか頂上までたどり着こうという意志と努力は息子にも伝わったはずだ。



頂上へ


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