イミグレを抜けてタクシーでワイキキへ

ホノルル空港

 朝食と思われる、これまた軽食を食べていると、息子が「島が見える」という。ちょうどその頃から降下が始まり、しばらくすると今度は「コ・オリナのラグーンが見えた」と息子から報告があった。

 いよいよ着陸だという実感が沸いてきた。空を見ると、まさに抜けるような青空だ。「そうだ、この空を期待していたんだ」と胸の中で叫ぶ。

 着陸、ざわめき、棚から荷物を下ろす、立ち上がって飛行機から出るのを待つ、というのが通常の流れだが、今回は車椅子なので、降りるときは一番最後になる。

 すべての人が降りた後、我々はゆっくりと機外に向かう。このときお世話してくれた若くて美しいフライトアテンダントと目が合ったので、ちょっと英語を試してみた。

 というのもJALでありながら、ほとんどのフライトアテンダントの日本語に癖があって、すぐに外国人だと分かったからである。

 「すんません、お宅はどこの国から来たんですかねえ」「タイランドです」「わお、そりゃすごい。私バンコク行きました」話はこれだけ。中学生英語ではこれが限界だ。相手が美女だけに印象に残っている。


イミグレ通過

 機外に出るとおだやかな空気が出迎えてくれる。この空気を呼吸するだけでも気持ちがリラックスするから不思議だ。飛行機の出入り口部分で再び車椅子を利用することになるが、すぐに係官がついてくれた。

 しかしこの係官、仕事を早く終わらせたいのか、やけに急ぐ。できればトイレに寄りたかったのだが、こちらの意向を聞くこともなくずんずんと進んでいく。車椅子が先頭で他の3人がつき従う形であるが、高齢の母親もいるので気が気でない。

 イミグレに到着するが、どうやら一般の人とほぼ同じ列になるようだった。ところがこの係官が選ぶ列はなぜかトラブルの多い列で、いっこうに進まない。焦っているのか、しばらくすると並ぶ列を変更するのだが、その列がまた動かず、先ほど並んでいた列が動いたりする。

 どうもこの係官には配慮もツキもないようだ。車椅子利用でこの係官に付き従う形なので、あちらの列のほうが良いとは我々も言えず、黙って従っていたが、さすがに連れも呆れ顔である。

 イミグレを何とか通過し、スーツケースを受け取り、例によって何の申告もない税関を通り抜けるとそこはもう本格的なハワイである。

 右側の個人用出口を目指す。係官はまだ車椅子を押してくれる。ありがたいのだが、彼のペースで動くので、段々ありがた迷惑に感じられてきた。「タクシーを使うのか」と聞かれたので、「そうだ」と答えると、勝手にずんずんタクシー乗り場へ行ってしまう。少しは休ませろよと内心思うが、そのいらだちは英語にならない。


タクシー

タクシー乗り場では、タクシー専門の係官が車椅子を見て、バンタイプの大型のタクシーを誘導してくれた。これならスーツケースも車椅子も一気に余裕で運べる。

 「車椅子はどうするんかい?」と聞かれたので、「連れは少しは歩けるんよ。だからトランクルームに入れてね」と怪しい英語で答える。でも分かってくれたようで、てきぱきと荷物を積んでくれる。我々も早速乗り込む。

 乗ってから気がついたが、先ほどの係官がなにやらモノ欲しそうな顔をしてこちらを見ている。「そうかチップを渡すべきだったのか」と気がついたのだが、でもチップはこちらがお願いしたことに対する対価であって、仕事なら必要ないはずと割り切ることにした。

 タクシーに乗り、いつものH1の風景を見ていると不思議なことに「ようやく戻ってきた」という感覚になる。私の先祖の一部がハワイや太平洋の島々に関係していたのかもしれない。もっとも私の顔を見ると、どう控えめに見てもアジア系なのだが。

 H1を降り、カパフル通りを南下し右折するとアラワイ運河沿いの道となり、ここを左折するとバニヤンだ。バニヤンを左に見て、タクシーは左折しロータリーに滑り込む。到着だ。

 料金は39ドル
だった。素早く暗算して15%+車椅子代として1ドルプラスの46ドルを支払った。しかしタクシー代もずいぶん高く感じる。



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